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ブランドストーリー
兵庫県産 山田錦について

酒米の最高峰、
山田錦

山田錦は、大正12年に、県立農事試験場(明石市)で、山田穂(やまだぼ)を母、短稈渡船(たんかんわたりぶね)を父として人工交配し、昭和3年に酒米試験地(加東市沢部)で、産地適応性の試験が行われ、昭和11年に今の「山田錦」が誕生し、兵庫県の奨励品種となりました。

現在、兵庫県の山田錦の生産量は16,766t(令和2年産)であり、全国シェアの約6割を占めている全国一の山田錦の産地です。特に、県内の山田錦の生産面積のうち約8割は加東市がある北播磨地域が占めています。
日本酒造りにおける山田錦の特徴は、大粒であることから高精米が可能であり、心白が大きいことから、良い麹を作りやすい、雑味のもととなるたんぱく質が少ないなど、山田錦は日本酒づくりに必要な要素を多く兼ね揃えていることから、全国の酒蔵で重宝されています。
加東市は、瀬戸内型気候の特色を備えており、四季を通じて、比較的温暖な気候のうえ、
山田錦の登熟期における昼夜の気温差が大きくなる、火山灰由来の凝灰岩を母材としており、粘土含有が高いなど、山田錦栽培に適した土壌、気候を備えています。
また、加東市の市域の多くは、山田錦の好適地とされる特A地区が多く存在しており、最高品質の山田錦が全国100を超える酒蔵に出荷され、名酒へと生まれ変わっています。

藤川禎次

山田錦の誕生に
大きく貢献した「藤川禎次」

加東市出身である藤川禎次は、山田錦の前身である「山渡50-7」の産地適応正や栽培法研究のために設けられた「酒米試験地」の初代主任に就任しました。当時、酒米の研究が確立されていない中、心白量、耐病性、収量など、他品種とともに比較実験を繰り返し昭和11年に山田錦が誕生するまで、研究の中心的な役割を担っていました。

極上の産地は
兵庫県「特A地区」

加東市は、平成18年に社町、滝野町、東条町が合併し、誕生しました。
兵庫県中央部やや南に位置し、東は丹波篠山市、三田市、南は小野市、三木市、西は、加西市、北は西脇市に接しています。
山田錦は全国で生産されていますが、山田錦の生産に適した「特A地区」が兵庫県内には存在しています。特に、加東市、三木市の市域には特A地区の中でも最も格付けの高い特A-a地区が多く存在しています。
山田錦の栽培における好適地とされるのは、1. 東西の谷で、日当たりが良いこと、2. 階段式のいわゆる棚田で排水がよいこと、3. 昼夜の寒暖差が大きいこと、4. 粘土質の土壌であることが条件として挙げられます。
山田錦のふるさとである加東市は、山田錦を育む恵まれた環境と、多くの生産者の熱意と努力により、最高品質の山田錦が生産され続けれています。

山田錦を支えた
「村米制度」

村米制度(むらまいせいど)」とは、灘地方における明治期の特定の酒米産地から酒造家が良質な酒米を安定的に購入するために直接契約を結ぶ仕組みであり、生産者は決まった購入先に安定して販売できるほか、酒蔵は良質な酒米を安定して確保することができます。
現在でも、加東市内の地域と酒蔵の結びつきは強く残っており、田植えシーズンから各酒蔵の幟が圃場に立つ光景を見ることができます。